広島 スタジアム問題について ~だんごファーム別館~

元サンフレッチェファンが思うこと

【広島 スタジアム問題 2】 サンフレッチェ独自案の詳細発表は何故失敗に終わったのか?

自ら”比較される”という選択肢を選んだサンフレッチェ

5/13に発表されたサンフレッチェの独自案詳細。あまりに内容が具体性に欠けた為に「久保会長はわざとこんな杜撰な案を出して、エディオンをサンフレッチェから撤退させたいのではないか?」などという憶測まで流れた。ただ、これに関してはさすがに無いのではないか。撤退、もしくは移転が目的であれば、こんなまどろっこしいやりかたではなく、ストレートに行動するのではないだろうか。何より、杜撰な資料で久保会長自身の財界での評価を落としてまで、そうする価値があるのかとも思う。どちらにしても、これ以上憶測で物を言うのは、宇品で汚染物質がーと言っているのと何も変わらないので、あくまで本気で詳細案をぶつけてみたものとして話を進める。

この独自案詳細発表、そもそも久保会長が4月上旬にメディアに語った際には「4月中に発表する」と久保会長は公言していた。が、「熊本地震に考慮する」として発表は5月13日に延期となった。そして4月22日、サンフレッチェは公式HPで動画を発表。この動画における久保会長の発言が、後に大きなポイントとなる。

この動画の発表前の時点で、サンフレッチェに求められていたのは、行政側の宇品案との比較ではなく、単独で「サッカーに関心が無い一般市民に対して、納得できるものを打ち出すことができるか」がテーマだった。ところが前述の4月22日、サンフレッチェは久保会長のメッセージで「日本総研が作った資料のわりにはレベルが低い。民間企業なら1からやり直し」と猛烈に批判した。3者の作業部会への苛立ちがこのような発言へとつながったのだろうが、これでサンフレッチェに対する見方は大きく変わることになり、5月13日に発表するサンフレッチェの独自案詳細は、"作業部会の作成した資料との比較”というステージに立った。それも自らの足で。「これだけの批判をしたのであればサンフレッチェは万人を唸らすような資料を用意してくるに違いない」と誰もが期待したし、自分も当然期待した。ただ、件の動画を見ていると不安半分、期待半分といった何とも複雑な気分でもあった。それは「このクラブに情報発信が正しく出来る力があるのか?」という疑問を以前から感じていたからだ。

 

情報発信から見えるクラブ人材レベルの限界

そして、5月13日の独自案詳細を迎える。

個人的に注目していたポイントは3つ。

・「税金を使わない」としているのがウリであれば、最低限の資金調達のスキーム。

・市からの確認事項への回答。

・3月の発表後、各種メディアで久保会長が語ってきたことの整合性。

 

結果はどうだったのかといえば、誤字脱字だらけのPowerPointで作ったpdfに資金調達の具体的な記述はされていなかった。特にメディアでは「45億円は市債として考える」としていただけに、そもそものウリである、税金を使わないということが懐疑的に見えたことは否めない。さらに、市からの確認事項についてはプレスリリースで返答するという手法を取ったが、文面も内容も納得できるものが提示できたとは言い難い内容。そして、インタビュー記事の中では「トップ会談でなくても構わない、事務レベルで応じてもいい」としていたが会見では「トップ会談を待つ」とした。この内容では今までメディアで言ってきたことは何だったのか、やる気があるのか?と言われても仕方が無い部分もある。だから、自分も前回の記事で「やっぱりこの程度の物か」と失望してしまった。

だが、これは同時に現状のクラブの力そのものなのだと思う。記者会見で読み上げる内容はすべて久保会長自身の言葉であるのかもしれない。だから「マツダスタジアム建設の際には議論が尽くされたのに、同じ広島でそれと同じことがなぜサッカーでできないのか」といった発言も出るのだろう。しかし、こういった発言には細心の注意が必要だ。「カープと同じ扱いにしろ」とも捉えられるだろうし、事実その日のローカル番組では、このニュースの冒頭にはテレビ映えがするこの発言が強調されていた。こういった事を自制するようにアドバイスするブレーン的人物もいないのだろう。

さらに、公式のプレスリリースが誤字脱字だらけでは言っていることに説得力が無くなる。通常は公式の検討資料なのだから何度もチェックがかかるはずだが、この様子を見ていると、どうやらそれをされている様子はうかがえない。この点をだけでも、サンフレッチェの人材不足が見て取れる。

そして、久保会長は会見の最後に「出せるものはすべて出し切った」と語った。この発言は「これ以上伸びしろがありません」と言っているようなものなので最大のマイナスポイントだったと思うが、「もうこれ以上、描けない」というのが本音だったのかもしれない。クラブの現状が良くも悪くも表れていた詳細発表だった。

 

クラブが今、やらなければならないのは人材確保が一番。確かにクラブの運営人数はカープやビッグクラブからすれば僅かな人数でやっているのだと思う。ただ、クラブの規模や予算の話を持ち出してしまえば「以上、終わり」である。何も変わらない。前回の記事で「営業努力が足りない」と言い切ったが、正しくは「努力していても見えない」のだろう。ただ、結果として見えていないのだから言われても仕方が無い部分。今年初めに首都圏で人材を募集するというニュースが出ていたから、クラブとしても改善したい部分という認知はしていると思われる。

そして”情報発信は適切にする”ということ。前述の4月22日の動画、いつものようにサポーターからのお便りが読まれていたのだが、あれに一体何の意味があるというのか。投稿者には大変申し訳ないのだが、県外サポが「CSの日に周囲の近所迷惑になりパトカーを呼ばれながらも、ずっと周辺にクルマを止め続けた」という内容のメッセージを紹介していたが、このサポーターの人は跡地にスタジアムが建っても車で行くんだろうかということくらいしか感じなかった。お便りの紹介自体も意味があるのかどうかもわからないが、その中でも取捨選択はしなければならないだろう。

選手のメッセージ動画だって撮り方もあるのではないか。サポーターへの大事なメッセージだったら雑音がする屋外で収録するのはどうなのか。それって選手にも失礼なことなのではないか。クラブハウスの中で撮影すれば済む話なのではないか。沢山疑問点が出で来るのだが、公式で発表するメッセージには「本気度を見せてほしい」と思うのだ。

 

今やスタジアム問題はタブーな領域に入っている。

これだけ事態は硬直していいれば、今までのやり方では絶対に一般市民に理解されることは無い。何故なら、自分のように、少しでもこのスタジアム問題に触れれば一度はこういう経験があるのではないだろうか。「こいつは本当の意味で解っていないからこういうことが言える。今まで見てきた俺はわかっている。でも言えない」と言われたことが。この問題には本当にこういうパターンで返してくるのが多い。しかし、この返しが来るたびにこう思う。「詳細が言えないような複雑なことを、一般市民が興味持とうと思うの?」と。

スタジアム問題はそれはそれは複雑で、行政とサンフレッチェの歴史や経緯、今までの検討委員会からのやりとりは、なかなか一般では理解しにくい”らしい”。”らしい”と書いたのは自分も全く詳しくはないから。そういうことは正直得意ではないし、よく言われる”広島の闇”(この言い方も心底気持ち悪い)なんて、ハッキリ言って自分にとっちゃどうだっていい話なのだ。だって、ずっと見てこないと解らないんでしょ?この話。そんなの興味持つ前に終わってしまうんじゃないの?というのが自分のスタンス。だいたい、この話が理解される土壌があるなら、何年もやってるのだからいい加減少しは市民が関心をもってくれるはずだ。

こうやって書くと、また報道機関=中国新聞が公正な報道をしないからだという論調が上がるんだろう。自分が前回のブログ記事を書いたあとも、Twitterでスタジアム問題について触れた中国新聞に、マスゴミなど腑抜けなどあらゆる手段を使った罵詈雑言が並んでいたのに触れ、日本って平和だなと思った。中国新聞の記事書いているのはロボットで、Twitterアカウントもbotなんだろう。だからあんなに汚い言葉を吐き捨てることが出来るのだ。そうでないと説明がつかない。もし、自分が中国新聞の記者だったらこれだけ言われて「よーし、明日から心を入れ替えてパパ頑張っちゃうぞー」と思うんだろうか。自分ならさらに偏向報道するか、もしくはそもそもその話題を”扱わない”ようにするだろう。書けば叩かれるのだから、そんなの何の得もない。

この構図は自分のようなブロガーだって同じだろう。このことは、自分の他にサンフレッチェブログを書かれている人達に、ほとんどこの話題に触れる人はいないことからもよくわかる。前回のようなブログ記事を書けば、跡地を願う人の中でも聞く耳を持つ人と、一切受け入れられない人の2パターンがハッキリする。後者の方が「トップがオープンな場で協議をすべき」などと言っている。「事態が進展しないからサンフレッチェが提案してるのに、それを叩くのが広島のマズいところ」って持論の人が自分のような異端な意見が出れば躍起になって叩きまくる。もはや、スタジアム問題に持論を持ち出すことはタブーになりつつあるのだ。こんな状況こそ、よほど広島の闇だ。もっといろいろな意見を発信して考えるのが、サンフレッチェの価値をより高める。これこそサポーターがやるべきことなのではないだろうか。

自分は「このブログで風穴開けてやるぜ」という大そうな気持ちなどないが、何か感じるきっかけにもなれば、それはそれで意味があると思って書いている。前回、市民の多くはサンフレッチェを「どうでもいい」存在だと思っていると勝手に決めつけて書いた。だが、市民はどうでもよくても、自分は「どうでもよくない」と思っているからこうしていろんな事を書いている。

 

サンフレのサンフレによるサンフレのためのスタジアム

この問題が市民に共感されない根本的な問題は、スタジアムを欲する側が全て正直にさらけ出していないからという面もある。この点はずっと以前から感じてきたことだ。当初クラブは複合型スタジアムを提唱し、サポーターもそれに従って「スタジアムは街づくり。複合型とすることで多くの市民が利用できる」と訴えかけてきた。しかし、一般市民の多くは「そうは言ってもサッカースタジアムが欲しいだけでしょ」と冷ややかに見ていた向きも多かったように感じる。そして、跡地は面積上の問題で複合型スタジアムが難しいことが判明すると、コンコースを利用できるという名目で出してきたのが先のサンフレッチェ独自案だ。こうなれば「やっぱりサッカースタジアムじゃないの」と市民には当然思われているだろう。ハッキリと言ってしまえば”潔さ”が感じられず見透かされているのだ。「そうだよ、その通りだよ。サッカー専用スタジアムだよ」と言ってしまえるだけの潔さが。

ここから先は私見を述べる。複合型、市民の為という隠れ蓑はもう要らないのではないか。この先、スタジアム建設を目指すならサッカー専用スタジアムを訴えるべきだ。サッカーについてはどこにも負けない、サッカーの殿堂のようなスタジアム。サンフレのサンフレによるサンフレのためのスタジアムを作ることを考えた方が近道だと思う。それには必ず集客上の問題が付いて回るとだろうが、それなら「サンフレッチェならサッカーで町興しできる」と市民に必要とされる存在になればいい。だから、今以上にもっとサンフレッチェの存在価値を上げなければいけないのだ。それは、クラブだけがやっていればいいというものはない。もちろんサポーターだって出来ることはたくさんあるだろう。

長くなったので、それについては、また別の機会にでも。